ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

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中村敏さんの


日本プロテスタント海外宣教史: 乗松雅休から現在まで 


が新教出版社から出ていますが、今回は、この本の一部を紹介しながら、ブラザレンと福音宣教、とりわけ、海外伝道をめぐる考え方について、考えていきたいと思います。

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乗松雅休の名前は、日本最初のプロテスタント宣教師として不滅である。しかしおそらく四、五十年くらい前まで、乗松の名前はその朝鮮伝道のことを知る人はごく一部の関係者を除けばほとんどいなかったことだろう。その理由としてはまず、乗松がプリマス・ブレズレン(日本では、「キリスト同信会」)という小さな群れに属していたことがあげられる。それに加えてこの群れの人々は、「恥は我らに、誉は神に」をモットーとして、自分たちの功績を後世に残すことを好まなかった。

(中略)

乗松の存在が日本のキリスト教会に知られるようになったのは、1970年代半ばであった。まず乗松の遠縁にあたり当時日本のキリスト教団小田原教会の牧師であった大野明が、新教出版社の月刊誌「福音と世界」(1976年8月号)で無名の乗松を紹介した。続いて翌年の1977年に日本基督教団出版局から、『チゲックン − 朝鮮・韓国人伝道の記録』において、織田楢次の先駆者・乗松の感動的な様子が詳しく紹介された。これ以来乗松の朝鮮伝道は多くの人から注目され、研究が本格的になされていった。キリスト同信会の一員である藤尾正人著の『ブランドさんとその群れ I』において、乗松について「せりあがってきた人物」という見出しが付いているが、実にふさわしい表現である。乗松の記録を通して、朝鮮人の真の隣人になろうと願いつつ朝鮮人伝道に命をかけた彼の生き方が、今なお懸案多き日韓関係の中で大きくクローズアップされるのである。

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キリスト集会という群れは、プリマス・ブラザレンではないという説の方もあるとは思いますが、ダービーはのブラザレンの系統を色濃く残しつつも、聖書理解がかなり変質してしまったキリスト同信会との関係が薄い、という意味では、我々はプリマス・ブラザレンではない、といえるかもしれませんが、実は同信会との関係は深いのですね。石浜義則著『私の歩んだ道 −主イエス・キリスト』という書籍の中では、秋田で活躍された三浦さんとの関係で、平野さんというエクスクルーシブ・ブラザレンの信者として紹介されている方が、石浜さんと三浦さんのバプテスマをめぐって、もめた話が、石浜さんの自伝の127ページに出てまいりますが、このエクスクルーシブ・ブラザレンというのが、実は、乗松雅休という人物が出た、キリスト同信会というグループのご出身の方のようです。これは、石浜さんのご家族に直接ご確認させていただいたので間違いのないことでございます。

この同信会で、武蔵野にあり、今はキリスト集会とは関係のなくなったドイツ系の宣教師の方のグループの方々と、同信会とは交流していた形跡があります。同信会は、月刊誌をお出しになっておられるので、その雑誌を丹念に追うと、1980年代前半までは、かなり交流があった形跡が後付けされます。

また、キリスト同信会のサイトは、かなり情報が充実しており、同信会さん側の情報で、キリスト集会の動向を知ることもできます。1980年代には、集会の人数が増えてきたこと、集会の数自体も増えてきたこともあり、交流機会が増えてきたこと、また、この世への取り組み方や、聖書理解などの方向性の違いにより、キリスト集会というグループ内での複数のサブグループといってもよいような体制になるほど充実してきたこともあるからかもしれません。キリスト集会というグループがスピンアウトしたのか、キリスト集会からほかのグループがスピンアウトしたのかは、議論の分かれるところだと思いますが、この辺りの数的充実をどう考えるのか、ということもいずれ検討してみたいと思います。

乗松雅休が知られないのと同様に、ハンカチをかぶるキリスト集団として認識されるものの、ほとんど記録を残さないのが、このキリスト者集団です。

「恥は我らに、誉は神に」をモットーとして、自分たちの功績を後世に残すことを好まなかっjた。

というのは、わかりますが、ほとんどのこさないので、このグループを追うのは、口伝によるしかない、等のが実情なので、1960年代ころに信仰を持った人たちがお亡くなりになる中で、インタビューしながら、記録を残しつつありますが、しかし、そうであっても、聞き取りすらが困難になりつつあります。個々の集会(教会)が記録を残してくれると嬉しいのですが、なかなかこういう面倒な作業をしてくれる人がいないので、歴史家泣かせであること、この上ない。

昨年だったか、一昨年だったかの大阪の学び会で語られた韓国人の兄弟がおられて、日本の伝道は遅れていて、ほとんど伝道者を出していない、という趣旨の発言をしておられましたが、そのご発言は、十分な調査がなされた上でのものではなかったことが、推測されます。

しかし、ブラザレンの伝道熱心というのは、ほとんどこのキリスト者集団のDNAのようなものではないか、ということをこの文書を見れば、感じられるかも知れません。

次回以降も、この本の内容のご紹介をしながら、ブラザレンと伝道についての考察を進めていこうと思います。
最近、読んだ本ですが、中村敏さんの


日本プロテスタント海外宣教史: 乗松雅休から現在まで [単行本]


が新教出版社から出ています。日本のプロテスタント派の海外宣教の歴史と人物をかなり丹念に追った本ですが、非常に面白い本です。この本の冒頭部に出てくる乗松雅休というかたは、キリスト集会と呼ばれるキリスト教会群と1970年頃まではお付き合いのあった同信会さんの信者さんですが、日本で初めてのプロテスタント派出の海外宣教者となられた方です。相当壮絶な伝道活動だったようです。

 ほとんど、ハングルを話せない状態で、海外に行き、なおかつ、伝道しようとするその意気込み、というのか無謀さは、信仰のみ、で突き進んでいったFaith Missionならではの信仰形態だったと思います。

 また、この本の中のあちこちには、中国大陸の満州の熱河伝道に関与したブラザレン派の人物がいた(日本人ではなさそう)ことなどが出てきます。このあたりのことを、少し、これから紹介していこうと思います。

 数年前、大阪地区の大会で海外宣教が話題になった大会がありましたが、そこでお話しされた韓国人のご後援者の方は、この乗松さんのことは、全く触れられておらず、大変残念に思いましたが、幸せな誤解かなぁ、と思いました。この人物については、もともと元国会図書館の職員さんのサイトで知ってはいたのですが、この本の客観的な姿勢はいいなぁ、と思いました。

 しばらくこの本の中から、ご紹介しようと思います。

Tim GrassのGathering to His Nameの中p.184からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のThe Changing Role Played by Women(女性の役割の変化)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。

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海外伝道においては、自国内においてその才能を生かす機会を失っていた女性の才能が用いられる道が、ある程度ではあるが、開かれた。とりわけ、この傾向は伝道の初期によくみられ、集会が設立されるまでの状況で多数みられた。1874−1913年までの間に、筆者(変換者註:Tim Grass)のEchoes of Service誌で報告された記事に基づく調査によれば、1064姪の報告が載せられているが、そのうちの半数以上の558人が女性であった。そのうち、266人は、彼ら自身で活動に身を投じているし、292人は、宣教師の妻として、活動に身を投じていった。1874年から1883に37%であった女性の比率は、1894年から1903年には、57%で、1904から1913年には、やや下がって55%であった。この比率は、大英帝国における男女比率と同じようなものであった。オープンブラザレンの伝道活動は、バプティスト伝道協会のような教派による宣教活動と比べ、他の信仰のみによる宣教活動(Faith Mission:いちばん有名なのは、OMFとその出発点のハドソン・テーラー。 なお、彼は、ジョージ・ミューラーの影響を強く受けており、ブラザレンの範疇ではとらえられないが、関係の深い人物)と同じように、女性の役割は大きいものであった。とはいえ、女性の役割は、母国での状況と同じように、リーダーというよりはサポーター役のようなものであった。

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海外で女性が活躍したことに関しては、結構記録があり、このブラザレン研究の現在の第一人者ともいえるNeil DicksonのBrethren in Scotland 1838-2000: A Social Study of an Evangelical Movementにもそのような記述がございました。

日本におられた方では、リデルズさんとスピッチリさん(飯田橋だったかな、新宿近郊の駅前にあったちっちゃな伝道出版社の売店で店番をされたときにお会いしたことがある。もう30年近く前)や、カーテンさんとトロッタさん(京都でちらっとお顔を合わせたくらい。帰国される直前にお会いしたものと思われる。)なんかが、英国系の女性の方で、伝道に奉仕された方の私が知る方です。もちろん、伝道者の方の配偶者としてこられた方は多かったでしょうが、独身だった方は、この方くらいしか、記憶にございません。

その昔、沖見さんとケアンズさんが京都におられたころ、夏の暑いころに、沖見さんとケアンズさんが元気が出るようにとカーテンさんとトロッタさんが梅酒をお出ししたところ、水の量(割り方)を間違えて、沖見さんもケアンズさんも酔っぱらった状態に近い状態で、自転車を走らしておられたそうです。そんな昔話を、ケアンズさんが話されたことをもはや懐かしく思い出されることになりつつあります。

リデルズさんとスピッチリさんは、関東で伝道出版社のお仕事をされておられましたが、関西支店を大阪に立てる予定だったのですが、諸般の事情から、その関西支店の資金(イギリスの建設業者で、サーの称号を持つお金持ちの兄弟からの援助資金)が京都集会の設立資金に充当された(その結果、その権利関係の処理が結構大変だったと、ケアンズさんが言っておられました)、というのは、ふるい方だとご存じだと思いますが、今は昔になってしまいました。その京都集会も、建て替えられ、道路を挟んで西側に移転しましたしねぇ。

このあたりの機微情報を知る人で、御存命中の方は、もはやケアンズさんくらいでしょうか。

リデルズさんとスピッチリさん、カーテンさんとトロッタさんは、上の記述どおり、完全にサブに回られることに徹された女性信徒の方々だった、という印象があります。

そういえば、今はもう歌われなくなった(いや、現役で歌っているところがあるかもしれないですが…)、伝道出版社刊の(口語訳聖書版)聖句歌を作曲したのは、ムーランさんですが、ムーランさんは音符に書くことができなかったので、その採譜をしたのが、リデルズさんとスピッチリさんだったはずです。ムーランさんの歌は、ムーラン武士と呼ばれる非常に独特の音楽性にあふれるものであったため(普通の音感ではわからないし、音楽理論を超越したものだったそうですが)、リデルズさんとスピッチリさんは、オルガンでそれを再現しながら採譜されたそうですが、相当、ムーランさんからダメ出しを食らったようです。それでも、耐えて、採譜をされ、それが、せいっく歌集として、集会で用いられたようです。1970年ごろまでは、使っていた記憶があります。私も、いまだに歌える曲があります。

♪はぁーじめに、はじめに、かみが、てんとち、てんとち、
はぁーじめに、はじめに、てんとちとを、
そうぞうされた、はじめに、かみが、
てんとちとを そうぞうされた。

昔から、集会におられる方の中には、この曲を歌える方がおられますので、いちど、古い信者さんに、ムーランさんの聖句歌集を歌ってください、とお願いしたら、歌ってもらえるかもしれません。

さて、次回は、最近読んだ本の中で、日本のブラザレン関係者の海外伝道に関して書かれてある書籍を見つけたので、ご紹介したいと思います。


Tim GrassのGathering to His Nameの中p.184からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のThe Changing Role Played by Women(女性の役割の変化)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。

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多くの女性たちが、疑いもなく、今日の女性の関与の仕方を制限的にする基礎を作り上げていったことは、疑いのないところであろう。ある雑誌の記事を書いた人たちは、このことに関して非常に敏感で、新約聖書に記載されている内容として、女性が果たした様々な役割を広く認識し、そのような現代的な必要があることを認めつつも、女性の役割を制限的にとらえることが大事であるとされ、女性の参加を認めることで、許された範囲を超える可能性があることを減らすべきであると考えられていたという印象がある。ブラザレン派の人々は、多くの教会の教会生活やブラザレン以外の福音派の教会の女性の生活のかなりの部分を占めた博愛主義的な働きを軽蔑する傾向があった。その結果、女性たちの能力と熱意は、否定的にとらえられることとなった。事実、社会から認識される博愛主義的な働きはブラザレン派の男性によってなされることが続いた。

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基本的に、ブラザレンが生まれた社会は、ビクトリア朝であり、その当時の女性の在り方の理想とされたビクトリア女王が、良妻賢母型のライフスタイルである、と広く認識されていたようです。ビクトリア女王は、当時の女性のロールモデルとなった、という背景もあって、女性がしとやかで、男性を支えるような役割が一般の女性について期待されいたという側面があるようです。

産業革命後の囲い込みの結果、当時の悲惨な都市部での生活がありました。この都市での生活改善を行う上で、人々を支える博愛主義的な活動は、非常に重要な役割を生みだしました。ロンドンでの水道、下水道の整備、学校の整備、消防の公営化、都市計画、良好な公営住宅の提供などが、博愛主義的な運動の結果、生み出されて行きました。日本でいえば、ちょうど明治維新のころでもあり、明治政府がこれらの欧米の事例を参照した結果、日本では、学校制度、兵制、上下水道の整備などが生まれていきます。

 女性たちが自ら、その役割を制限的にとらえていった、という背景がいまだに影響しているというのは、それなりの文化的時代的背景があっては忘れられてはならないことを認識しておいたほうがよいかもしれません。
 
 その後、イギリスでは、エリザベス2世の治世が現在もなお長く続いていることもあり、彼女のスタイルの影響も長くイギリス人に影響を与えています。とはいうものの、イギリス自体が、米国文化の影響を受けていることもあり、相当変質しているように思います。映画Queenはそのことを暗示しているように思います。Diana王妃がQueen of Englandになっていたら、どうなっていただろうか、と思うのは、歴史家には許されないといでしょうけど。

 ちなみに、Diana王妃が謀殺されたという見解は、見解としてはお認めしますが、個人的には、その見解に同調いたしかねます。
今回も、Tim GrassのGathering to His Nameの中pp.183-184からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のThe Changing Role Played by Women(女性の役割の変化)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。

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使徒2:16-21(女性信徒が預言していた)は、特別のケースとみられるようになっていきました。初代キリスト教会の証は書かれたことばによって、そのような現象を置き換えられていくようになっていきました。新約聖書の預言と女性が教会で語ることのバランスをとることは扱われなくなった。新約聖書時代の女性がこの賜物を用いた時には、女性は私的になされたものとされた。預言は教えることと置き換えられ、(このグループの雑誌への)投稿者は、女性はこのような賜物を受けないものである、という考え方を解釈の中に入れ込んで行ったり、プリスキラ(プリシラ)が使徒の18章でしているように、これらが公的に行われたものでないという考え方を織り込んで行ったりした。被り物をしている状態でも、声を出して祈ることは拒否された。それは、女性に割り当てられた奉仕の役割ではないからというばかりではなく、そのことを受け入れがたい信者を悲しませるからであるという理由が挙げられた。

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うーん、これを読んでいくと、なんとなくF.F. Bruceが女性教役者を認めた背景が少しわからないでもないような気がした。確かに、初代教会では、女性が預言している。教役であるかどうかは別として、姉妹たちも祈っていたし予言をしていた、と考えるのが普通であろう。それは、聖書主義を掲げるキリスト者であるブラザレンの信徒であれば、だれしも認めるところでしょうし、それを認めないとすれば、聖書主義を否定することになるようにおもいます。

 使徒の働き時代の初代キリスト教会で女性が預言していたのであれば、キリスト集会(あるいはブラザレン派)のキリスト者が初代キリスト教、とりわけ、使徒時代のキリスト教を理想である、と標榜するならば、その時代に起きたこと、その時代の方法を認めるべきなのだろう、それが筋というものだろう、というのが、おそらくBruceの発言の背後にあったのでは、と思う。彼は新約学者であり、今なお、彼の著作と論文という文献は、現代でもなお基礎文献として読まれていることから考えても、Bruceの研究に基づいた発言は、ある程度参考にされるべきものだと思う。

 しかし、ブラザレン派の人々は、公的に行われたものではないとか、そういう賜物は女性には与えられない、とか、与えられなくなったとか、不安に思う人々がいるとか、悲しむ人がいるとかいう理由で勝手な読みこみというのか織り込みをその聖書理解に付加していくことで、聖書主義を標榜しつつも、解釈によりその聖書主義を捨てているとはいえないまでも、相当変質した聖書主義になっているように見えてしまう。こう書いている私にもそう見える。預言や癒しであっても、その存在は完全に否定できないし、否定すべきでもないように思う。これらの女性の役割や、預言や癒しの否定といったことなどを訳知り顔に書くことは、主の主、万軍の主、王の王とよばれる神(YHWH)の領域に自らを置くことになるのではないのか、と反省している。

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